così
来春のコジファントゥッテ稽古に久しぶりに参加してきました。
本振りの現場ですが、副指揮に任せきりでなかなか顔を出せてなかったので、久しぶりのメンバーもいてなんだかホームにかえった気分です。
久しぶりに会う若い音楽家達(僕も若い音楽家ですが)は成長著しく、いい刺激になりました。
音楽に関わるにあたり、中学時代にバンドジャーナルで出会った一つの言葉が僕の中で大きな格言となっています。
「音楽は時間芸術。一度音として出してしまったものは戻って来ない。その時その時で新たなものを作って行こう」
とある学校の顧問の先生の、本番前の一言として載っていたものですが、当時の僕にはとても衝撃的で、今でも必ず口にするひとことです。
もちろん、交通整理の為にある程度の「お約束」は必要ですが、その場その場の空気によって、お互いのコンディションによって、音として飛んでくる音楽は違うわけで。
そういうものにフレシキブルに対応してこそ、生の面白さです。
それは決して、グダグダのアドリブ合戦とは違うわけで。
そういうやりとりを、たった三時間の間に星の数ほどして、はじめて「生きた」音楽になっていくんです。
今日はそういう音楽ができる兆しがはじめて見えたキャストがいて、とっても幸せな一夜でした。
なんだかとっても幸せだったので、練習終了後そのままカツを食べながら打ち合わせ。
キャベツ、「不可思議盛り」です♪
久しぶりに会う若い音楽家達(僕も若い音楽家ですが)は成長著しく、いい刺激になりました。
音楽に関わるにあたり、中学時代にバンドジャーナルで出会った一つの言葉が僕の中で大きな格言となっています。
「音楽は時間芸術。一度音として出してしまったものは戻って来ない。その時その時で新たなものを作って行こう」
とある学校の顧問の先生の、本番前の一言として載っていたものですが、当時の僕にはとても衝撃的で、今でも必ず口にするひとことです。
もちろん、交通整理の為にある程度の「お約束」は必要ですが、その場その場の空気によって、お互いのコンディションによって、音として飛んでくる音楽は違うわけで。
そういうものにフレシキブルに対応してこそ、生の面白さです。
それは決して、グダグダのアドリブ合戦とは違うわけで。
そういうやりとりを、たった三時間の間に星の数ほどして、はじめて「生きた」音楽になっていくんです。
今日はそういう音楽ができる兆しがはじめて見えたキャストがいて、とっても幸せな一夜でした。
なんだかとっても幸せだったので、練習終了後そのままカツを食べながら打ち合わせ。

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